今井鎮雄実行委員長

 賀川先生は、神戸の中の一番底辺にいた方々と一緒に生活をし、次から次へとその人たちに必要だと思うものを考えてきました。  天国屋と称する一膳飯屋、巡回医療の介助というような仕事から始まって、心にかかわる問題にまで、いろいろなことを考えてまいりました。そして、このような方々の人権とこれからの命とをどのように守るかと発想したものが、例えば労働組合、生活協同組合、あるいは信用金庫、あるいは学校というように発展して、今に至っています。  「賀川先生はご自分で発想して始めたけれども、それを次の人にいつも譲って自分が最後まで育てたところはあまりないんじゃないか」という批判を聞いたことがあります。しかし私はむしろ、「この人に責任を持っていただこう」というように、次から次へと発展したと感じております。

 20世紀は、私たちの欲望を満足させることには、かなり成功しました。経済的に豊かになり、マイホームもきれいになり、食べるものもあらゆるものが豊かになってきました。しかし、自分の欲望を満足させることはできたけれども、必ずしもみんなが幸福になったとは言えないのではないか、というのが20世紀の生き方への反省です。
 では、今はどうでしょう。グロバリゼーションが進んで、人間ということを捨象し、あらゆるものが非人間化しています。人間が大事に扱ってきた経済、豊かになるために使ってきた経済が、逆に私たちを支配するような時代になっています。地球すらも壊そうとするような勢いで経済が発展していくときに、1人の「命」をいかにして守るかということは、 21世紀において私たちが発しなければならない大事な問いなのではないでしょうか。それこそが、実は賀川先生が私たちに教えたことではないでしょうか。

 賀川先生がなさったことの基本になっているのは「人間」ということです。一つのものについて研究し、業績を発表するという学者はたくさんおられますけれども、人間をもう一度改造して、人間とは何かということ、人間の幸福とは何かということを問いかける仕事をした人は、あまり見当りません。 私たちは、そのような先見性をこれからも学び続けたいと思います。
 ちょうど賀川先生が仕事を始めて100年になるこの機会に、全国レベルで行なわれるプロジェクトではありますが、特に賀川先生を生み、賀川先生が育ち、そして賀川先生が一番初めに働いたこの神戸の地から、神戸プロジェクトを発信しようと思っています。

 幸いなことに、井戸知事も、矢田市長も応援団になってくださいました。それは、私たちが発信しようとしていることが、実は神戸だけではなく、兵庫県だけではなく、日本、あるいは世界でも、大変大事な役割を期待されているということでもあります。
 私たちは、昔の賀川先生の業績を振り返って「偉い人だったなあ」というのではありません。「この『命』は、今、生きなきゃいけないんだ」ということを伝えていくのが、私たちの今度の会の一番の役割です。
 賀川先生のその教えを埋もらせることはできない、その精神をもう一度伝えたい、という思いにご賛同を得ましたことを、心からお礼を申し上げるとともに、今後のご協力をよろしくお願いいたします。